文学でも音楽でも、もっとも古い発表の形態は詩を、物語を吟じることだった。声帯を鳴らし、空気を震わせ、人々と感動や興奮、喜怒哀楽を共有した。吟遊詩人は旅をしながら、人々が集まるところで波乱万丈の物語を語り、聴衆はその物語から、神の残酷さや英雄の脆さ、王の愚かさや賢人の知恵を学び、友人の消息を知り、離れた故郷を懐かしんだ。
やがて、詩や物語は書物になり、その書物は複製され、より多くの人の目に触れ、人々を無知や迷妄から解き放った。今日、膨大な数の書物が世界に流通し、その種類と総数は増えているが、それらはことごとく忘れ去られてゆく。今、目の前にあっても、来年、いや来月にはもう読むことができなくなっているかもしれない。
私はこれまでに五十冊以上の書物を出版してきたが、それらの半分以上は市場の都合でもう手に入らなくなってしまった。「本は不滅だ」とロシアの巨匠はいったが、そのための努力を怠れば、私が書いたものは地上から抹消されてしまう。
遅まきながら、私は自分が生み出した物語やキャラクター、紆余曲折の末、辿り着いた認識、理論、技法の保存のためのアーカイブを作ることにした。それを「masatti」というレーベルで電子書籍の形にまとめれば、いつでもどこでも私の作品は読者の方々にお届けすることができる。そして、私が死んだ後も、「masatti」は万人を不眠に誘うこの世界を、吟遊詩人のようにあてどなく彷徨うことができる。
島田雅彦
Masatti は島田雅彦とその仲間たちが立ち上げた個人の電子書籍レーベルです。第一弾として、新刊の『往生際の悪い奴』(島田雅彦著 ヤマザキマリ挿絵)をお届けします。今後も過去の名作を随時、電子書籍化してゆきますし、Masatti オリジナルのエッセー集、漫画なども刊行いたします。どうぞ御贔屓よろしくお願いします。